波多野工務店の歴史
宮大工の礎に、
地域社会と共に歩む。
宮大工の伝統と技を礎に、
地域とともに暮らしを支え、
未来へとつないできました。
時代が移ろう中でも
変わらぬ想いで歩み続けています。
History
大正2年(1913)に創業して以来、百余年。
四代にわたり受け継がれてきた想いと歩みをご紹介します。
Episode-01
創業者 波多野 太市郎
宮大工としての道を選んだ、
不屈の精神。
- 生誕 :
- 明治19年(1886)
- 出身 :
- 岐阜県武儀群上之保
- 転機 :
- 明治35年(1902)、扶桑町の高木伊兵方にて宮大工の道へ
八年の年期奉公と、
一家の礎。
寺の小僧、酒屋と職を転々とした後、
太市郎は自らの天職を見出します。
扶桑町の名工・高木伊兵のもとで八年に及ぶ
住み込みの奉公を経て、一人前の宮大工となりました。
明治43年(1910)、江南市の大脇家三女きいと結婚。
そして、長男・泰夫が誕生した大正2年(1913)を、
波多野工務店「創業の年」と定めました。
大正5年(1916)には現在の草井町に拠点を構え、
多くの職人や見習いを抱える事業へと成長させました。
Episode-02
二代目 波多野 泰夫
戦後の復興を支え、事業を飛躍させた
「ガチャマン景気」の立役者。
- 生誕 :
- 大正2年(1913)
- 出身 :
- 昭和3年(1928)より一宮市丹陽町にて宮大工修行
- 転機 :
- 昭和13年(1938)、支那事変に出兵
のこぎり屋根が、
街を覆った時代。
終戦後、一宮市と江南市は「ガチャマン景気」と呼ばれる繊維産業の好景気に沸きました。
二代目・泰夫はこの機を捉え、木造の「のこぎり屋根」を持つ繊維工場を数多く建設。
その卓越した技術と時代のニーズを読む力で、波多野工務店の礎を盤石なものとしました。
父から受け継いだ宮大工の技術を、地域産業発展のために応用したのです。
機織り機(ガッチャン)を一度動かせば万(マン)のお金が儲かると言われた戦後の繊維産業の好景気。
地域への貢献。
法人化と未来を担う
学び舎の建設。
昭和42年(1967)、
「株式会社波多野工務店」として法人登記。
江南市発注の公共事業を担うようになりました。
ベビーブーム期には、地域の子どもたちのための
教育施設を建設しました。
- 草井小学校
- 北部中学校
- 藤里小学校
- 古知野中学校
- 古知野西小学校
予期せぬ継承の危機と、
家族の試練。
三代目の長男 博昭は、次期後継者として期待されていた。
しかし、昭和53年(1978)5月、持病であった心臓の病により、心筋梗塞で急逝。
後継者を失った心労から、父である泰夫社長も大病を患う。
Episode-03
三代目 波多野 正勝 / 賢司
二人三脚で支えた第三の時代。
昭和54年(1979)
次男 正勝が社長、三男 賢司が副社長に就任。
役割を分担し、
会社の発展を確固たるものに。
社長 正勝が鉄筋コンクリート造・鉄骨造を、
副社長 賢司が木造住宅を担い、
兄弟それぞれの専門性を柱に事業を展開。
二人三脚で会社を率いることで、
後継者を失うという試練を乗り越え、
組織は新たな時代へと踏み出しました。
future
Episode-04
四代目 波多野 智章
初代から続く宮大工の
技術と精神を礎に、
現代の建設ニーズに応える。
創業の精神は、未来へ続く。
平成15年(2003)4月、博昭の長男である
智章が四代目社長に就任。
受け継がれてきた宮大工の伝統を礎としながら、
現代の多様化する建設ニーズに応えるべく、
新たな体制づくりと事業展開を進めてきました。
創業の精神を守りつつ、変化を恐れず挑戦を重ねる。
その歩みは、これからの時代へと続いていきます。
波多野工務店のDNA
宮大工の魂
創業から受け継がれる、
技術への探究心と
妥協なき品質。
二人三脚の精神
家族、社員、そして地域社会。
互いに支え合い、
共に発展する姿勢。
苦難の克服と継承
幾多の試練を
乗り越えてきた歴史が、
私たちの強さの証明です。